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ホーム > 水産白書 > 平成21年度 水産白書 全文 > 平成21年度  水産の動向 > 第1部 平成21年度 水産の動向 > 第1章 特集 これからの漁業・漁村に求められるもの > 第2節 我が国の魚食文化を支えてきた漁業・漁村 > (1)自然環境によって形成されてきた漁業・漁村と食文化


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(1)自然環境によって形成されてきた漁業・漁村と食文化


(自然環境と生業)

自然環境は、地形や気候、大気の循環のほかに、植生、土壌等の多くの要素が密接に結び付いて構成されています。例えば、気温についてみると、高緯度になるほど低くなり、大陸の内陸部に行くほど気温の年較差は大きく、海に近い地域ほど気温の年較差は小さくなります。

自然環境は、その地域の産業の形成に大きな影響を与えています。世界三大漁場に数えられる北東大西洋海域・北西大西洋海域・北西太平洋海域で漁業が盛んになったのも、海流がもたらす自然環境によるものです。

北東大西洋海域は高緯度に位置していますが、暖流が流れているため、豊富な水産資源に恵まれています。沿岸のノルウェーは、フィヨルド地形により平地がほとんどないものの、海岸線が長く、波の穏やかな港湾が数多く形成されているため、世界的に漁業・養殖業が盛んな国となっています。

北西大西洋海域も、温暖なメキシコ湾流が流れ、潮目や大陸棚を有しています。沿岸のニューイングランド地方は、米国漁業の発祥の地と呼ばれ、米国漁業管理の基本法である「マグナソン漁業資源保存管理法」(1976年)のモデルケースにもなりました。

18世紀後半のニューイングランド沖での漁業の様子
18世紀後半の
ニューイングランド沖での漁業の様子
出典:M.Kurlansky「Cod」
 

(豊かな漁場を有する日本)

我が国周辺の北西太平洋海域も、いくつもの海流が交差して豊かな漁場を形成しています。三陸沖や常磐沖では、栄養素を豊富に含んだ寒流の親潮が、南から流れてくる暖流の黒潮にぶつかり、潮目を形成するため、プランクトンが大量に発生し、それを食べる小魚、さらにその小魚を餌とするサンマ、カツオ、サバ等の多種多様な魚が集まります。

また、日本列島は、四方が海に面し、山がちで複雑な地形を有し、亜寒帯から亜熱帯気候まで広域にまたがるなど、自然環境を構成する多くの要素が複雑に影響し合っています。このため、我が国の沿岸には、地域ごとの独自の伝統文化や集落景観を有する個性豊かな漁村が津々浦々に形成されました。
 

京都府伊根(いね)町「舟屋(ふなや)群」
京都府伊根(いね)町
「舟屋(ふなや)群」
神奈川県真鶴町「魚つき保安林」
神奈川県真鶴(まなづる)町
「魚(うお)つき保安林」
 

(自然環境によって形成される食文化)

自然環境は、その地域に暮らす人々の食生活にも大きな影響を与えています。図・-2-3は、各国の主食の構成要素を比較したものです。ドイツやナイジェリアではいも類の摂取が多くなっていますが、熱帯気候のナイジェリアではキャッサバやタロイモが摂取されるのに対し、寒冷地のドイツでは冷涼性のジャガイモが多く摂取されています。大陸内陸部の乾燥地帯に位置するモンゴルでは、草地を利用した羊等の粗放的牧畜業が盛んで、羊を中心とした肉類が多く摂取されています。漁業が盛んなノルウェーでは魚介類が多く摂取されています。

生活水準が向上し、モノや情報の交流が盛んになると、世界各地の食に関する情報や食材が容易に得られるようになり、食のグローバル化が進みます。しかし、現在でも、地域ごとの食生活の特徴は、色濃く残っているのです。

 

(日本の魚食文化)

我が国は、国土の多くが温暖湿潤気候に含まれ、また、豊かな漁場を有しているため、米と魚を中心とする食生活となっています。我が国周辺水域の豊かな海は、地域ごとに特色のある「魚食文化」を生み出しました。魚食文化とは、単に魚を沢山食べることや食卓に魚が並ぶことを指すのではありません。調理方法や調理道具、品質を評価する目利き、魚を獲る技術や処理・保存技術など多様な分野に及び、魚を中心とした食生活の中で知識・知恵として受け継がれ、蓄積されてきたもの全体が魚食文化となっているのです。

今日、牛乳・乳製品や肉類の消費が増え、米・魚を中心とした日本型の食生活が変化しつつありますが、現在でもなお、動物性タンパク質の中では魚介類を最も多く消費しており※1、世界有数の魚食大国となっています。

※1 品目別の1人当たり年間消費量は、魚介類56.0kg、牛肉9.0kg、豚肉18.6kg、鶏肉15.2kg。農林水産省「食料需給表」(平成20年概算値)による。

表1-2-1 1人当たり年間食用魚介類供給量
 

図1-2-5 私たちの生活に根ざす魚食文化
 

和辻哲郎は、『風土』(昭和10年)の中で次のように述べています。

「食物の生産に最も関係の深いのは風土である。人間は獣肉と魚肉のいずれを欲するかに従って牧畜か漁業かのいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定されているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。」

我が国の国土は、森林が70%以上を占めており、少ない平野は温暖で雨の多い気象条件ゆえに牧畜よりも米生産に適していました。四方が海に面した我が国で漁業が古くから発達したのも、風土によって定まったといえるかもしれません。
 

コラム:漁労や魚を詠んだ歌

「紫式部図」(石山寺蔵)
出典:「紫式部図」(石山寺蔵)
変化に富んだ自然や四季に恵まれた日本では、花鳥風月など自然を題材とした歌が詠まれてきましたが、「海」や「魚」を題材とする歌も少なくありません。

万葉集で歌われている海や浜での漁労活動には活気が感じられます。次の歌は、過酷な漁労活動にもかかわらず、どこか働くことの明るさが感じられます。

・大宮の 内まで聞こゆ 網引(あびき)すと 網子(あご)ととのふる 海人の呼び声

・あり通(がよ)ふ 難波(なには)の宮は 海近み 漁童女(あまおとめ)らが 乗れる船見ゆ

紫式部も魚にまつわる歌を残しています。

・日の本に はやらせたまふ 石清水(イワシみず) まゐらぬ人は あらじとぞ思ふ 紫式部

この歌は、「イワシは上流社会の人が食べるものではない」と夫に言われた紫式部が、「誰もが石清水八幡宮に詣でるのと同様に、イワシは誰もが食べるおいしい魚です」と反論したものだと伝えられています。

・岩の根に かたおもむきに なみ浮きて あはびを潜(かづ)く 海人(あま)のむらぎみ 西行

アサリのような二枚貝とは異なり、一枚の貝殻しか持たないアワビは「片思い」の象徴とされてきました。

これらの歌は、古来、日本人が魚を通じて感性豊かな生活を送ってきたことを私たちに伝えてくれます。
 

(漁業の上では合理的な漁村の立地)

北前船寄港地
出典:牧野隆信『北前船の時代-近世以後の日本海海運史』(教育社)
第1節で紹介したように、我が国の漁村の多くは、離島地域や半島地域など交通アクセスが不便な場所に位置しています。しかし、漁場へのアクセスが最優先の条件になるという漁業の特性からすれば、天然の良港に恵まれ、漁場への距離が近い離島地域や半島地域に漁村が多く立地しているのは、合理的であったといえます。漁業にとっては、本来、離島地域や半島地域は有利な条件を有していたのです。

陸上交通のインフラが十分でなかった時代には、漁村は海上交通の要として他の地域との活発な交流が行われてきた歴史を持っており、各地には独特の文化が残されています。

江戸時代から明治時代にかけて活躍した北前船は、北海道からニシン、昆布等を大阪まで運び、逆に北海道へは木綿、米、酒、塩等を運び、食生活の向上や文化の発展を各地にもたらしました。このような北前船が寄港した港をみると、離島地域や半島地域が多く含まれることがわかります。
 

コラム:海を通じた交流で栄えた半島と離島の町

漁船による勇壮な海上神事が行われる祝島
漁船による勇壮な海上神事が行われる祝島
山口県上関町
山口県上関(かみのせき)町は、瀬戸内海に突き出した室津(むろつ)半島といくつかの離島から形成される歴史のある町です。小さな海峡を挟んで向かい合う室津集落と上関集落は、平安時代には既に風待港として港町が形成され、江戸時代には、北前船や参勤交代の大名船、朝鮮通信使の船など、様々な人々が行き交う経済・文化交流の拠点として発展を遂げました。現在でも、両集落には、番所、大名や朝鮮通信使の宿泊所等の史跡や当時の繁栄を偲ぶ歴史的な町並みが残されています。

室津・上関から定期船で30分ほどの場所にある八島(やしま)は、江戸時代、長崎県の五島列島や山口県仙崎(せんざき)で行われた沿岸捕鯨の鯨組(くじらくみ)に労働力を供給していました。また、同じく瀬戸内海に浮かぶ祝島(いわいしま)は、古代より都から九州に至る最短航路の中継地として知られ、航行安全を守る神霊の静まる島として崇められてきました。現在でも、4年に一度、大分県国東(くにさき)半島から神職が船で島を訪れ、神楽(かぐら)を奉納する神事が行われています。
 

お問い合わせ先

漁政部企画課
担当者:動向分析班
代表:03-3502-8111(内線6578)
ダイヤルイン:03-6744-2344
FAX:03-3501-5097

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