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(2)日本の漁業・漁村の歴史を振り返って


ここでは、歴史学や民俗学などの研究成果※1 によって、我が国の漁業・漁村の歴史を振り返りつつ、漁業・漁村がどのように形成されてきたのかについて考察します。

※1 羽原又吉「日本古代漁業経済史」(改造社)、「漂海民」(岩波新書)、小沼勇「漁業政策百年」((社)農山漁村文化協会)、二野瓶徳夫「漁業構造の史的展開」(御茶の水書房)、後藤雅和「近世漁業社会構造の研究」(山川出版社)等を参考にして記述した。

図1-2-6 漁業の歴史(古代から近世、近代まで)

(海を自由に行き来した海人(あま)・海民(かいみん))

漁業・漁村の役割や名称は、時代により、また統治機構や制度により変化しました。古代には、海に暮らす人たちは、「海人」や「海部(あまべ)」と呼ばれ、漁業のみならず、海運や交易に携わり、広く近隣諸国との交流の担い手でもあったといわれています。海人を通じ、新しい情報・知識・技術・モノが絶えず我が国にもたらされ、海人が拠点とした海村(かいそん)は、交通の要(ハブ)となっていたものと考えられます。

国内海運・国際貿易が盛んになった室町時代には、海民による交易・海運・漁労活動が活発化し、港町や漁村が多く形成され始めたといわれています。また、戦国時代に入ると、瀬戸内海等の海民の中には、大名・領主の求めにより、水軍や海上の領海警護役となる者も現れました。

厳島合戦絵図
出典:「厳島合戦絵図」(廿日市市宮島歴史民俗資料館蔵)

コラム:周防(すおう)大島沖家室(おきかむろ) ~海は世界へ通じるみち~

現在の沖家室
現在の沖家室
山口県上関町
橋で周防大島とつながる周囲5キロの小さな島、山口県周防大島町沖家室島は、一本釣りで栄えた漁師の島です。沖家室島の漁師は漁場を求め、九州、対馬や台湾、そしてハワイ諸島までと果敢な出漁を展開し、海を通じて各地とつながり、移住地を形成しました。

また、沖家室島は多くの島民が移民としてハワイへ渡ったことでも知られ、移住先で漁法を伝えハワイの漁業振興に寄与し、ハワイの漁場は沖家室島出身者が開拓したといわれるほどです。ハワイ移住者が島の小学校へピアノを寄贈する等、海を越えても島民のつながりは強固なものでした。

漁場を追い求め広い海を渡った漁師の島、沖家室島。島民の多くは島を後にし、現在、高齢化率は66%(平成22年3月末現在)にまで達しています。しかし、今日でも盆や正月には島を出た元島民が集い、“盆に沈む島”と呼ばれます。
 

コラム:離島の温泉は、各地の漁業者の交流の場

漁港に係留中の家船(写真中央)
漁港に係留中の家船(写真中央)
我が国には、土地に定着せず、「家船(えぶね)」と呼ばれる船に居住し、漁獲物を販売しながら移動しつつ漁労に従事する漁民がいました。家船での居住というスタイルは昭和40年代までには消滅したといわれますが、現在でも、海を自由に行き来した彼らの伝統は息づいています。

例えば、いか釣り漁業や近海かつお・まぐろ漁業などでは、日本近海を回遊する漁獲物を追って、各地に水揚げをしつつ操業を行う「旅船(たびぶね)」と呼ばれる漁船や、そうした漁船が入港した際の漁獲物の販売のあっせんや漁船への食料供給を担う「宿」と呼ばれる仕組みがみられます。

また、離島の漁港は、地元漁民が利用するのみならず、漁業の中継基地・避難港としても活用されており、漁港の利用者の5割は、地元外の漁船であるといわれています。長崎県五島(ごとう)市の荒川港は、五島沖の漁場への拠点として、また、悪天時の避難港として知られており、各地の漁船が集まります。港の近くには、荒川温泉が湯気を上げ、各地から集まった漁民たちが共同浴場の番台にタオルや石けんの入った風呂桶をリザーブし、漁模様について情報交換を行う姿がみられます。
 

(海民の定住化と漁村形成の進行)

俵物の一つ、フカヒレ
俵物の一つ、フカヒレ
現在の漁村の基礎がつくられたと考えられる江戸時代に入ると、江戸幕府の政策などにより、漁労活動が原則として領国内に限定され、使用する船にも制限が加えられるようになり、海民の定住化と漁業への専業化が進み、現在のような形の漁村が形成されていったといわれています。また、離島等には、魚を求めて他地域から出漁した漁民が定着して成立した漁村集落が現れました。

鎖国政策の下で海外との交易が幕府に一元化されると、俵物(たわらもの)と呼ばれるナマコ、アワビ、フカヒレ等の海産物の乾物が盛んに輸出されるようになりました。
 

(都市を支えた漁業・漁村)

大阪雑魚場魚市場
大阪雑魚場魚市場
出典:「雑喉場」(大阪府立中之島図書館蔵)
江戸時代には、多くの商業都市も発達しましたが、大阪湾という天然の良港にも恵まれた大阪(大坂)は、全国の流通の中心となりました。大阪湾沿岸域の都市周辺には既に多くの漁村が形成されていましたが、これらの漁村から供給される魚介類により「雑魚場(ざこば)魚市場」と呼ばれる水産物市場が形成されました。

雑魚場魚市場は、大阪商人や職人の生活を支えるのみならず、廻船(かいせん)によって、最大の消費地である江戸をはじめ、瀬戸内海を経由して日本海沿岸の各地まで水産物を供給していました。まさに、大阪は「天下の台所」でした。

江戸においても、水産物の消費が拡大するにつれて流通業が発達していきました。当初は、幕府に魚を納めた残りを漁師たちが日本橋で売っていましたが、鮮度を魚の目の色で判断するなど独特の技術(目利(めき)きの技)を持つ「仲買人(なかがいにん)」という職業が発達し、水産業の中での分業化が進みました。
 

コラム:佃島(つくだしま) ~食を支える築地市場がつむぐ歴史~

東都名所日本橋魚市
出典:「東都名所日本橋魚市」(江戸東京博物館蔵)
徳川家康が摂津(せっつ)国(大阪)の佃村から江戸に呼んだ漁業者が隅田(すみだ)川河口の干潟を埋め立てて造成したのが、「佃島」の始まりとされています。河海(かかい)での操業許可を受けた佃島の漁業者が、幕府に漁獲物を献上した後、余った魚を売買した場所が「日本橋魚市場」です。また、佃島の漁業者が、船上での保存食として小魚を塩辛く煮付けていたものが、後の佃煮です。

その後、魚市場は発展を遂げ、近代を迎えますが、大正12年の関東大震災で大きな被害を受けたことをきっかけに、かねて移転が論議されていたこともあり、現在の築地の地へと移転します。江戸時代から多くの人の食を支えてきた魚市場は、現在では、マグロのセリの様子を海外の観光客が見学に来るなど、海外にも知られる市場となっています。
 

(日本の近代化を支えた海民)

鯨の解体の様子
鯨の解体の様子
出典:「生月御崎納屋場背美鯨切解図」
(長崎県立対馬歴史民俗資料館蔵)
江戸時代には、紀伊半島や九州北西部などで沿岸捕鯨が盛んに行われるようになりました。鯨の赤身は食用、「白手物(しろてもの)」と呼ばれる皮等は主として鯨油、骨は肥料や漁具の原材料等として余すところなく活用され、当時、「鯨一頭獲ると、七浦うるおう」といわれ、多数の雇用と富をもたらし、漁村の一大産業になりました。

江戸時代の沿岸捕鯨を支えた九州の漁民の子孫は、明治時代以降、南極海での近代捕鯨の担い手となるなど、地元沿岸中心の小規模な操業から沖合、遠洋へと展開し、世界に冠たる水産大国の源泉ともなりました。また、戦国時代の塩飽(しわく)水軍で知られた塩飽諸島の粟島(香川県)では、明治30年に村立の海員学校(後の国立粟島海員学校)が設立され、海運業界へ多くの人材を供給しました。
 

(産業資本の形成から200海里時代へ)

魚を図柄に取り入れた商店の引札子
魚を図柄に取り入れた商店の引札
(今でいう広告。明治~大正期)
出典:「引札 寿美禮屋」(印刷博物館蔵)
明治時代になると、欧米各国を視察した人々は、海外の漁業知識や技術を導入し、我が国漁業の質的な転換をもたらしました。捕鯨、トロール、さけ・ます漁業等においては大資本が形成され、漁具や漁船建造などの関連産業も拡大しました。また、漁村においても、地元資本による漁業会社の成長や大手漁業会社での雇用が進むなど、大きな変化が生じました。

第二次世界大戦後の食糧難の時代には、我が国漁業は国民への動物性タンパクの供給や外貨獲得の役割を担う一方、漁村の多くは企業的漁業に労働力を供給してきました。しかしながら、昭和50年代以降は、沿岸国が200海里漁業水域を設定し、国際的規制が強まる中で、我が国漁業は、我が国周辺水域における漁業を中心とした体制に移行していきました。
 

コラム:欧米から見た日本人と魚とのかかわり

魚介類を買い求める主婦の様子
昭和23年に連合国軍総司令部(GHQ)天然資源局が発行した報告書には、日本人と魚介類の深いかかわりについて興味深い記述があります。

例えば、「日本は世界に冠たる漁業国であり、漁業者にとって世界の7つの海※1 のうち6つの海を航海するなど朝飯前」、「日本の漁業者にとって興味のわかない海洋生物などなく、魚であれ海藻であれ、余すところなく無駄なく利用している」などです。また、日本においてこれほどまで漁業が発達した最大の理由として、高い生産性を有する好漁場が日本周辺にあることをあげ、特にアジ、サバ、イワシといった変動の激しい浮魚(うきうお)を上手に利用していると分析しています。

このほか、魚屋で楽しげに魚介類を買い求める主婦の様子、漁にいそしむ活気ある漁業者、山奥の農村においても5月になると鯉(こい)のぼりを掲げているなど、日本人の日常生活や行事の中にいかに魚が溶け込んでいるかを紹介しています。

※1 7つの海:時代によって指す場所は変化するが、現在では、北極海・南極海・インド洋・北大西洋・北太平洋・南大西洋・南太平洋を指す。
 

お問い合わせ先

漁政部企画課
担当者:動向分析班
代表:03-3502-8111(内線6578)
ダイヤルイン:03-6744-2344
FAX:03-3501-5097

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