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水産庁

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(1)近代以降の水産教育の変遷

水産教育にかかる明治期以降のおおよその変遷は図2-1-1のとおりです。

ア 明治期から第2次世界大戦までの水産教育

水産教育は、大日本水産会(現在の一般社団法人大日本水産会)が明治21(1888)年に設立した水産伝習所が本格的なスタートと言われています。水産伝習所は水産業者の育成や地方の水産業発展等を目的としていました。

水産伝習所は、明治29(1896)年から水産教員養成課程を設置し、全国で活躍する水産教員の養成をスタートさせましたが、明治30(1897)年には農商務省(現在の農林水産省)が直轄する官立水産講習所となり、水産教育の一層の充実が図られるとともに、明治32(1899)年の府県水産講習所規程により、その後、府県の水産講習所が設置されていきました。

また、文部省(現在の文部科学省)による明治26(1893)年の実業補習学校*1規程や明治34(1901)年の水産学校規程により、水産補習学校(明治28(1895)年以降)や水産学校が設立されました。

このように、明治時代において、地方水産業改良に必要な漁業・製造・養殖技術の習得を目的とした水産教育が全国各地で展開され、我が国における水産教育の礎が築かれていきました。

一方、明治30(1897)年、外国猟船*2に対抗するため、漁業資本の充実を目指した遠洋漁業奨励法が公布されましたが、当時は船舶の運航から漁猟ぎょりょう*3に関することまで、幅広い知識や技能を求められる遠洋漁業従事者がまだ十分に養成されていなかったため、官立水産講習所を活用し、実地での練習によって知識と技能を身に付けた人材の養成を進めました。こうして養成された人材は、府県水産講習所の漁猟職員養成の教員としても活躍し、官立水産講習所は、教員の供給機関としての役割も果たしました。

また、明治38(1905)年の日露講和条約締結以後の北洋漁業権益の拡大は、遠洋漁業を中心に水産業が発展する契機となり、漁業生産技術の開発とともに、技術を有する人材を多数養成することが必要となったため、明治40(1907)年には農商務大臣の認定した府県水産講習所の遠洋漁業科卒業者に漁猟長免状を無試験で付与することとし、官立・府県水産講習所の学歴が職業資格になりました。

  1. 第2次世界大戦以前における小学校卒業者で、勤労に従事する青少年を対象に教育を行っていた学校。農業補習学校、商業補習学校、水産補習学校などがあった。
  2. 当時の外国船は鯨類などを捕獲対象としていた。
  3. 当時は漁業者がラッコやオットセイ猟も行っていた。

イ 第2次世界大戦後の水産教

第2次世界大戦後、一時期中学校職業科の科目として存在していた水産教育は、その後、高等学校(以下「高校」といいます。)で行われることになりました。戦前の水産学校のうち、17校がそのまま単独水産高校になり、また19校が総合高校の水産課程に編入されましたが、実習の期間の問題などにより、19校中12校が単独水産高校に戻り、また新たに9校が新設されました(昭和50(1975)年当時で38校)。さらに、中学校を卒業した漁村の勤労青少年のために水産に関する定時制の学校が全国各地に設置されました(昭和30(1955)年当時で21校)。

戦後の水産教育の主な目的は、戦前の水産教育を受け継ぎ、水産技術者を育成することであり、特に昭和26(1951)年の産業教育振興法*1の制定により、遠洋漁業の中堅技術者の育成を目標として、実習船の建造や施設・設備の充実が図られました。

また、第一水産講習所*2は、昭和25(1950)年文部省管轄の東京水産大学(現在の東京海洋大学)となり、また下関にあった第二水産講習所*2は昭和38(1963)年に水産大学校と改称して現在に至っています。他の水産系学部・学科は、国立大学においては3校が戦前の帝国大学から設置されていましたが、他の国立大学や私立大学については戦後に設置されました。この中には、第2次世界大戦頃に設置された旧制専門学校からの流れをくむ大学もあります。

水産高校は、戦後の「沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へ」という漁船漁業の発展の中で、遠洋漁業従事者の育成に力を注いできましたが、昭和47(1972)年のオイルショックやその後の各国の排他的経済水域の設定などにより、遠洋漁業の規模は縮小へと転じ、従事者数の減少に応じて水産高校に入学を希望する生徒も減少しました。多くの水産高校では実習船を保有していたため、実習船教育は継続されたものの、生徒数の減少から存続が危ぶまれる水産高校も見られるようになりました。

  1. 昭和26(1951)年法律第228号
  2. 官立水産講習所は第2次世界大戦後の昭和22(1947)年に「第一水産講習所」に改称。これに伴い、昭和20(1945)年に解散した釜山プサン水産専門学校の引揚げ学生の受入れを主な目的として昭和21(1946)年に設置された農林省所管の水産講習所下関分所は翌年、「第二水産講習所」に改称され、その後昭和27(1952)年に「水産講習所」に改称。

ウ 平成の新しい水産教育

平成に入り、学習指導要領の改訂もあって、水産以外の例えば「海洋」を高校名に入れるなど、新たな時代に入ってきました。全国各地の水産高校は、従来の専門技術教育に加え、生徒の主体性や探求能力を高める「課題研究」や「総合学習」を実施し、また、「地域貢献活動」を積極的に推し進めています。

また、大学においても、例えば東京大学の「水圏生物科学専修」や京都大学の「資源生物科学科」のように「水産」が名称に入らなくなるような専修や学科も増えてきました。

図2-1-1 水産教育にかかる学校等の変遷

図2-1-1 水産教育にかかる学校等の変遷

コラム海のことを学ぶ海洋教育

平成19(2007)年に制定された「海洋基本法*1」には第28条で学校教育における海洋に関する教育の推進がうたわれており、平成30(2018)年に閣議決定された「第3期海洋基本計画」では、子供や若者に対する海洋に関する教育の推進として2025年までに全ての市町村で海洋教育が実践されることを目指し、「ニッポン学びの海プラットホーム」の下、関係府省、関係機関間の連携を一層強化することとなっています。また、平成29(2017)年に公示された小・中学校の学習指導要領においても、海洋に囲まれ多数の島からなる我が国の国土に関して指導することとなっています。

公益財団法人笹川平和財団海洋政策研究所などが全国の教育委員会を対象として実施したアンケートでは、360の自治体が学校で海洋教育が行われていると回答しており、日本各地で海洋教育の動きが広がっています。

  1. 平成19(2007)年法律第33号

図:教育委員会の海洋教育推進に関するアンケート集計結果(平成29(2017)年3月)

図:教育委員会の海洋教育推進に関するアンケート集計結果(平成29(2017)年3月)